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Day9: My Parents’ Departure

yoko katz November 28, 2014 6 comments

Day 9 after the 6th chemotherapy.  It was the time for my parents to go back to Japan.  I am still feeling not fully recovered.

Today was the day that my parents had to leave for Japan.  It counted exactly 90 days of their stay.  That was the maximum days with a sightseeing visa.  This time of trip was their second one to come to help me out in this year.

When I told them I was diagnosed with breast cancer, I was in NY and my parents were in Japan.  Let me put aside how much shocking it was for me emotionally, I only had primitive idea of what breast  cancer was.  I had to learn from the beginning what I would go through as treatments.  I learn that my specific cancer requires so many process.  I surely felt overwhelmed.

How am I going to look after my son, who still needs care and attention?  Can I keep my job?  What about my dissertation, can I ever finish it?  Can I have more children after chemotherapy and 5 years of medical treatments while I will be getting older?  What about some of the daily task of healthy meals for the family?  Those are some of the questions I had, when I had millions of questions, concerns, anxieties and very important medical decisions I had to make.

My parents came to stay two separate times since then.  Once I had my surgery and its recovery, and egg retrieval, then when my chemotherapy started.  They took over my tasks where they could and let me focus on myself.  I am truly fortunate to be a daughter of my parents.

They looked into applying some kind of visa to step in to support medially ill immediate family, but they gave up that idea.  The application process gave us impression that it could take time and not guaranteed.  They had to submit their passport with applications and waiting for an interview date to be mailed to them.  They would have to make a trip to Tokyo for that one day.  Once they are informed that their visa would be issued, then they can book flight tickets.  Meanwhile, my surgery can be scheduled for any time and they could not sit and anxiously wait for the visa in Japan.

It has been almost full 6 months since I placed my initial call for a local doctor’s appointment.  Wow, the time passed me by very slowly this 6 months.  When they were in Japan, we discussed many issues I had to think of over Skype almost everyday.  Once they were here, they kept up with our quality of daily life as high as possible.  I am sure that my son has been worried about me, but he could keep his normality as much as possible.  That should provide him security that his life is more or less normal.  That was more than what I could dreamed of being able to running this house while I go through my treatment.  Thank you, Mom.  Thank you, Dad.  I love you and I miss you already!

[Day 9] Nauseous (medication at night).  Tingling sensation in my toes.  I was in bed most of the time.

6回目抗がん剤治療後9日目。まだ私の体調は全快していないけれども、今日とうとう両親が日本への帰国した。今年2度目の長期滞在で、ちょうど90日。観光滞在ビザがぎりぎり終わる日である。

私が、乳がんと宣告を受けた時、私はNYにいて、両親は日本にいた。その時私がどれほど動揺していたという話は、またいつか書くことにして、当時、乳がんについてほとんど知識が無かったので、最初から基本的なことから 具体的な治療などを学んでいった。Stage1の初期発見にもかかわらず、私の乳がんの種類は、辛い抗がん剤治療と長い治療が必要なものだというのも学んでいった。当然、目の前の状況に唖然とする。

まだ世話や教育が必要な息子をどう育てていくのか。仕事は続けていけるのか。博士論文は、いったい完成する日が来るのか。抗がん剤治療や飲み薬を服用するともう子供は産めなくなるのか。治療の間も私の年代は、出産が難しい年代にはいっていく。毎日3食の家族の食事はどうするのか。そんなことを考えながらも、乳がん関連の治療の疑問や精神的な不安を抱え、その上、自分の生存率の統計とにらめっこしながら自分にベストな治療方法を相談して決めていかないといけなかった。

両親は、2度に分けてNYへ渡航することになった。一度は私が乳がん摘出手術をして、すぐに卵子を取る手術をした間。二度目は、抗がん剤治療が始まってからだ。私が家で普段している主婦の仕事を一手に引き受けてくれて、自分の治療に集中させてくれた。両親の子供に生まれてきて本当によかった。

家族の看病が必要な時のビザがあると思い、調べてみたのだが諦めた。ビザの申請をすると同時にパスポートも提出。指定された日に東京までインタビューに出かけてからビザが発行されるかどうかが決まってくる。パスポートが手元に戻ってきたら、やっと飛行機の手配が出来る。そうしている間にも、私の治療内容が決まり、ひょっとしたら手術も終わるかもしれない。NYで摘出手術を受けている間、遠く日本で何も出来ないでいるのは両親にしてみたらつらい。いても立ってもいられなくなる。そうして、2度の渡航をしてくれることとなった。

今から、6ヶ月前のことである。医者に会って診てもらったほうが良いかなと予約の電話をした。この6ヶ月は、とてもゆっくり時間が過ぎた。最初はスカイプ越しに毎日両親と話をした。いったん両親がNY入りしてからは、私達の生活の質をなるべく高くするように動いてくれた。乳がんになった母親を持って、息子も心配をしている。両親は、息子の生活が出来るだけ私が乳がんだと分かる以前と同じ日常が送れるように と気を配ってくれた。8歳の息子が安心して生活できるためにも、昔から変わらぬ日常を過ごし、安心感を与えられるのが理想だと思う。両親のおかげです。両親の愛を感じた闘病生活を過ごしている。ママ、ありがとう。パパ、ありがとう。まだ半日だけれど、家の中が静かで もう寂しいです。ありがとう。

[6回目抗がん剤治療後9日目] 吐き気 (夜に薬。). つま先がピリピリ。ほぼ一日ベッドで寝ている。

6 comments

  1. Wakana

    それはさみしいね〜。この数ヶ月、ご両親も大変だったと思うけど、娘夫婦、孫と過ごせてかけがえのない毎日ったはず。親孝行したね!
    ブログ読んでいたら朝からの雨が急に晴れてご来光がさしてきたー。いい予感。

    • Wakana
      いい兆しなご来光。いっぱいパワー受付中!
      かけがえのない時間、間違いない。
      これだけ長く 同じ屋根で両親と過ごしたのは、考えると高校卒業以来かも。
      それも、濃密な時間になりました。

  2. ふわ

    おつかれちゃん!

    ご両親がお帰りになって、さみしいね。年間90日までなんだね。
    たしか、洋子ちゃんのお母さんと僕の叔母さんが同級生だったよね。

    東京も朝晩、寒くなってきたわ。そちらはもっと寒いと思うんだけど。
    春になるとさ、いつも思い出す曲があってね。
    小学校の登校時に毎日かかっていた音楽。

    滝廉太郎の「花」 気分転換にどうぞ。
    https://www.youtube.com/watch?v=GXKmTKrqSR4

    • ふわっち

      年に何度でもいいけれど、一度の滞在が90日を越えてはいけないのよ。
      片道 飛行機の中で13-14時間。時差も14時間で昼夜逆転。
      そうなると、飛行機代はもちろん、体力もいるもので、ずっといられたら良かったんだけれど。
      自分で選んでここにいるものの、NYは、残念ながら遠いなぁ~と。

      そうそう、ふわっちのおばさんと 同級生だった!
      それにしても、よく思い出したなぁ 『花』。
      私 登校拒否気味な小学1・2年生で、これを聞くと おなかが痛くなったけどね。。。ぷぷぷ

  3. kaori

    あ~、とっても寂しくなってしまったね。大きな支えだったよね。
    お父様、お母様に最後ご挨拶できず、残念でした・・・。
    本当にお二人の存在は、太陽のようだよね。栄養たっぷり与えてくれて、安心させてくれる。
    私もお二人とわずかではあったけれど、ご一緒させてもらうことができて、栄養たっぷり頂きました。無事に帰国の途につかれることを祈って・・・。
    また、伺います!

    • Kaori
      味覚オンチが続いてはいたものの、育った味は体の心底がよく知っているもので、一瞬わかる瞬間があれば「あ~ これこれ」という味がしたときもあったよ。味はともかく、必要な栄養つけてくれました。

      Kaoriさん 差し入れありがとう。両親が帰国して、すっかり野菜が不足がちなので、ありがたいです。味覚はまだ少し戻ってなくて なんともコメントしにくいところが申し訳ない~