Oh, it has been a traumatic experience in November. (日本語は英語の後で。) I hardly have time for writing. Here are some chronological things happened so far, it has been a lot of drama. These are mainly the things physically I attended and experienced, which are still a lot of things that had happened. I don’t have space to write much of my emotional side to spell out here, which was deeply brutal (maybe one day I can write). I had my birthday in November. I had some great outings with friends and family! What made me cried about the birthday the most was the birthday song. For twice at different locations, at the very end of the birthday song, some of the waiters put an additional line with the same birthday music melody. It goes “happy birthday to you, happy ….. dear Yoko happy birthday to you, and many many years more” Each time I hear, I had to cry thinking “I wish there are and how many more years do I have? I am still 42 years old.”




[11/15/2019 Friday ] First Radiation. My husband came with me. We waited for a long time (see my Instagram.) In my turn, I was supposed to stay still for 30 minutes, staring at the ceiling with huge anxiety. I finally said I could not do it, I started to have a panic attack. Technicians convinced me to count down for the rest of the time and made me aware how many more minutes, it was for the last 5 minutes I had. Still, I really wanted to be off from the table. 5% chance of dying by doing this. I was so scared and panicked.



I also have started developing a side effect from the radiation. My thorax started to be very sensitive. Anything I ate and even drunk, I felt the food was going down slowly as if food got stuck in my throat. It was painful and bothered eating, I lost appetite.


An appointment with my Oncologist. The original tumor on my fake boob (reconstructed breast after mastectomy) is getting bigger even with hormone medication that I was asked to take by the doctor. So, the next possible step is to identify how much it is bigger. Yet another MRI is scheduled and I will see her again after that to decide what treatment is coming up next.

I have been doing what I could.
10月の精神的に最も厳しい時間を過ごしたと思ったら、11月に入って、新しい治療を試す準備と治療に回復で心身共に負担のある月だった。記録的に、(いつ誰の参考になるかもしれないので)ここに記しておく。11月は、私の誕生日の月でもあって、治療と仕事をこなしながら、お友達やファミリーと楽しい時間も過ごした。でも、誕生日の歌に潜まれた予期せぬ落とし穴に お祝いの歌を歌ってもらいながら、泣いた。ウエイターの人たちが歌ってくれた 恒例のお誕生日ソングの後に 付け足して歌ってくれたフレーズが響く。「ハッピバースデーto you ハッピバースデー to you…. dear Yoko….Happy birthday to you.」の後に 同じメロディーで もう一度、「and many many years more」 と なぜか2か所の場所で言われる。もう ひょっとしたら こないかもしれない来年の誕生日、再来年の誕生日。それなのに、その私に向けられる 「これからも何年もお誕生日をハッピーにお祝いしようね」 とのフレーズ。歌っているウエイターの人たちが知らない私の心境で聞くフレーズは、ずっしり重く、泣ける42歳の誕生日。
2019年11月1日金曜日。放射線腫瘍内科の先生とのミーティング。新しい治療方法が、効果がよく出てきているものがあるからと 臨床試験を勧められる。臨床試験は、もう最後の手段なのかと思っていたんだけれど、私はそういうのを勧められる段階にあるのかな。単に最新治療で良く効くのがあるからそちらをした方が良いという話かな。(ちなみに、骨に転移した乳がんは、骨の癌ではなくて、乳がんが骨に転移した 骨にある乳がんです。)数か所にしか転移していないので、転移先にビームのような放射線を当てて、そこの転移先だけでも完治させたいというアイディアからきている、新しい治療方法。まだ臨床試験としても、3段階研究ステップあるうちの2段階が終わっているところもの。効果のほどは、「寿命が倍に伸びます。」と言うもの。それはいい!ただ、5%の確率で死にます。と言うものです。論文の原文を読ませてもらって、その5%が本当に私にも5%なのかを検討し、私が行った場合に、死ぬ確率はもっと低いである理由が見つかったので、このリスクを取ってまで治療をすることに覚悟を決める。
2019年11月5日火曜日。治療準備で必要な情報を得るための MRIを再びする。
2019年11月7日木曜日。ミエログラム(背骨の神経ー大事な神経ね!ーが見えるように色を付ける)神経と背骨にある癌の場所関係を明白にする。神経にダメージを与えないように細心の注意を払って。 (この詳細はFacebookに書いた)痛くて こわーいこわーい検査です。
2019年11月8日金曜日 。ミエログラムの後に、副作用が出ていたにもかかわらず、それが副作用だとは認知しないまま過ごす。頭が痛くて、あまりの痛さにうずくまって涙がいっぱい出てくる。1から10の痛みを表すものがあれば、10の痛み。何とかしてもらわないと死んだほうが良いと思う。痛み止めを飲んで横になったら収まる。
2019年11月9-10日土曜日日曜日。土曜日に乳がんのシンポジウムで最新の情報を得ようと出かける。30分現場にいただけで、すでに帰宅しないと無理となり、帰ってくるものの車の中で嘔吐。放射線腫瘍内科の先生と連絡を取るも、まだミエログラムをしたばかりだから、もう少し横になっていればよくなるはず。月曜日に電話で確認するとのこと。
2019年11月11日月曜日。授業に出かけていくものの、授業中に嘔吐しそうになり、うずくまる授業中。病院の緊急室に運ばれて、脊髄にブラッドパッチ(血液で栓をする)というのをすると 良くなっていく。頭痛が和らいでいく。ただし、これも頭痛がひどくなる場合があり、リスクがあるけれども治療をするかと聞かれる。これ以上ひどい頭痛とはどういうものなのかまだ道のダークな世界は広い。これはFacebookに書いてある(英語だけだった。。。)。
2019年11月12日火曜日。通常通り 授業に出かける。緊急病院の先生が、もうブラッドパッチが効果があるから、あとは良くなるばかりだという。頭はまだまだ痛いけど、まだ 治療すら始まっていないから、ここで休んでいては、あとで休みたいときに休めなくて 職を失ったりしたら悲しすぎる。先生が 後は良くなるばっかりだというし、週末から ずっと寝てばっかりで 睡眠はいっぱいとってるし、原因のわかっている頭痛がする以外体力的には ぜんぜんへっちゃら、だからちょっと無理してでも出かける。
2019年11月15日金曜日 。5%の死亡率がある放射線治療の一日目。何時間かまたされた後に、やっと自分の番が来て、30分絶対に動かないでね。と言われる。この前から、背骨の神経に触らないように慎重にって検査してきたので、すごい緊張感。何もない天井を見つめたまま、動いてはいけない。頭はめちゃくちゃさえている。だんだん もういてもたってもいられなくなり、大声で聞く。「後どれだけですか?もう私無理です。降ります。」そしたら、あと5分で終わるから何とか頑張ってと言われる。でも、もうパニック障害出てきて、うずくまらないといけない。どうしよう。残りの5分カウントダウンしてもらって、そちらに集中して過ごす。あぁ、すごく怖かった。
2019年11月18・19日月曜日 火曜日。2度目と3度目で最後の放射線治療。要領がわかったので、前よりはまし。それも、大学の授業やミーティングの合間に出かけて 治療して 学校に戻って普通に生活しているから、精神が次のやらないといけないことのことを考えているから、パニックにならずに済んだ。たぶん、大学で私を見ている人は、そんな恐ろしい治療を途中でこなしながら 大学に来ているとはわからないままだと思う。放射線治療おしまい。放射線腫瘍内科の先生に、体調はどうだと聞かれても、まだ 前の頭痛がやっとよくなった感があって、放射線治療で体がどうのだとかは気になっていない。
2019年11月24日日曜日。風邪をひきはじめているらしく しんどい。日曜日に、息子の教会の日曜教室で牧師さんが話をするのを聞いている。うーーん、教会が終わって、車の中に入った瞬間 号泣。家に帰ってきて ハズバンドの顔見て ますます大泣き。声をあげて泣きまくる。精神的に、自分を普通の世界で生活している人たちから守らないと、傷つく。普通の人たちが普通に未来を語るところで、いちいちつまずく。子供が生まれて、大きくなって、学校に行き。。。 と言う話は、うんうん、そうだったそうだった、息子もそんな具合だったと聞いている。ところが、高校を卒業して。。。という話の下りから、みんなの描く未来像と 私が描くことができる未来像のギャップが激しすぎて、耐えられない。私が描く5年後の未来像は、自分は この世の中にいなくて、息子には母親がいないという未来像しか描けられない。みんなが 感動して泣いているときに、がけから突き落とされて号泣する私。誕生日の時もそうだけれど、普通の世界で普通の感覚で生活している人たちと どこかで何か切り離さないと 私は 常に苦しい。一緒にいたいけれど、時間の感覚、未来の感覚が もう 今までの私や周囲の人たちから断然に違いすぎる。もちろんみんなの世界と好きで分けたくはないけれど、そうでもしないと 自分を守り切れずに ズタズタに切り刻まれて 毎回苦しい。風邪ひきかけても、休まずにちゃんと授業する 月曜日から水曜日。
[ 2019年11月28日感謝祭の週末(木曜日から週末にかけて)。高校時代のアメリカ一年留学でお世話になった家族に会いに バージニア州に行く。22年ぶりに会う、私のアメリカン ママとの再会で、うれしい。もっと早くしておくべきだった。帰りに 行ったことないフィラデルフィアに出かけて、アメリカの独立宣言をした ズバリの場所に立って、ここから始まったアメリカの歴史の中で やたらとアメリカの時間は短いけど、ここから始まったと分かるのは、それまた面白い日本にはない感覚だなと思う。感謝祭のあたりから、放射線の後遺症が出てきて、ものが呑み込めなくなる。食道が放射線に当たっているようで、障害が出てきて 食べるの飲むのが苦しい。頭が痛かったら、次は、普段からあまりひかない風邪をひいて、そうしたら次は、食べ物が食べられなくなる。全体に体もだるくて 寝ている時間が長い、すごいさんざんな11月だ。
2019年12月2日月曜日。ステージ4の人たちが集まる、乳がんのサポートグループに出かける。うーーん、プラスとマイナスの部分があって、まあ こんなものかぁ。。。
2019年12月8ー9日 土曜日 日曜日。食道の障害が無くなって、やたらと眠かったのもなくなって。8月にしこりを見つけたとき以前のような 快調な体調だし、精神的にも なんかノリノリ。今学期 最初の1週間だけ癌がわからないまま過ごして、やる気満々で絶好調だったけど。後は ずっと 寝ても覚めても地獄のような日々で、仕事も教えること以外にもやるべきことがあるはずだけど、最低限の教えることだけをしていて、それすらままなっていない。生徒へ責任を果たすがごとく、この週末は、仕事していたら眠気もなくって、貫徹しても、日曜日に眠くもならない凄いエネルギー。いったん布団に入ったけれど、眠くならない。ずっと仕事して かなり片付いた週末。完全に何かの神経がいかれている。
2019年12月9日月曜日。心臓の超音波検査(と言うことは、抗がん剤が近いかなと思う。)とメインの腫瘍内科の先生とのミーティング。前にも心臓の超音波検査しているはずなんだけれど、すっかり忘れているのか。。。とにかく、とにかく30分固いものを肋骨の間に突っ込まれて、イタイイタイ。左胸は完全にシリコンも入っているので、心臓が見えないらしい。だから、唯一心臓が確認できる一か所からのみでの検査で、一か所にぐいぐい固いものを食い込ませてくる、30分。最後は、笑いが止まらなくなった。痛すぎて痛すぎるのに、全然お構いなしに押してくる 検査技師の人が鈍感すぎるのか そういうものなのか。もう冗談でしょとばかりで、笑えて来た。次の日もその次の日も、痛かった。
結局お医者さんとは、元のしこりの部分が大きくなってきているねと話をして、次のプランを確実に決めるために、もう一度 MRIをしないといけない。と言うわけで、MRIの予約を入れて おしまい。
わぉ。すごいたくさんのことが起きた。すごいたくさんだ。もう カレンダーを見ないと何がどういう順番で起きたのかも覚えていない。生徒がいろいろな事情でスケジュールなどをアレンジをしたい生徒がいて、その対応も、そん場その場でベストな判断をこなしてきている。まったく覚えていないことばかりなので、生徒に あなたが責任もって、こういう会話をしたというのを 日にちが近くなったらメールしてと対応する。昔、記憶力は結構自信があったんだけど、5年前の抗がん剤治療で、脳細胞も壊されてから、この5年で良くなったものの、記憶力は本当に落ちた。
私、これ以上頑張れないほど、いっぱいいっぱい。働き盛りで、キャリアを目指す42歳で癌になり、普通に家族との生活もしながら治療をする。たくさんの人に助けてもらって何とかこなす すさまじい生活。